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桃栗三年柿八年

今年も庭にある柿の木にはいっぱいの実がなっていた。といっても去年ほどではなく、今年は例年より少なかった。まあ去年大量になったので今年は少ないかなと予想はしていたが。

ところで「桃栗三年柿八年」という諺がある。何事も成就するまでにはそれ相応の年月が掛かるとか、待っていればやがて良いことがあるということの喩えだ。先日友人と話をしていてこの諺が出た時に、これに続く言葉があった様な気がしたのだがなかなか思い出せない。調べてみると以前に聞いたのは「梨の馬鹿めが十八年」という感じの言葉だったようだ。

この他にも「柚子は遅くて十三年」とか「梅は酸い酸い十八年」など色々とあるようだ。まあ、どれもそんなに待てるかっ! という感じだし「枇杷は九年でなりかねる」なんて待ち損かよっ! という感じで元の喩えからは完全に逸脱してしまっているが、どうやらすべて後付けのようだ。

同じような例がある。「井の中の蛙大海を知らず」という諺は、荘子の「秋水」の中で語られている事で、狭い世界に閉じこもっていると広い世界のことを知れないとか、狭い知識にとらわれていると大局的な判断ができないなどといった喩えだ。しかし、こちらも後付けで「されどその深さを知る」や「されど天の青さを知る」など色々な言葉が付けられると、元の意味とは逆の意味になってしまう。

色々と後付けの言葉があるが、どれもまったく違う意味になってしまうというのが面白い。やはり元の諺で忠言された人が負け惜しみで考えたのだろうか。